Life wants a stoked!

サーフィンと金儲けが好きな厨二社長の日常。

近くて遠い実家であった場所

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先日、春の彼岸はちょいと過ぎてしまっていたが、墓参りにいってきた。自分でもよくわからないけど墓参り行ったときには実家に電話をするのが習慣となっている。実家というか、、、僕は既に両親ともに他界しているので実家とは言わないのかもしれない、実家であった場所。そういう時にいつも感じていることがあります。

なんというか、母親が生きていた時にはその家にもちょこちょこ行っていた気がするし、行くのに気を遣う必要もなかったのだけれど、母親が他界してからは微妙に、いや、明らかに心理的な壁が僕自身の中にあって足が遠のいてしまっている。なんでだろうね?やはり母親の存在はかなり大きかったということなのだろうか。

なるべく正月やお盆くらいは日をずらしたとしても、顔を見せるようにしていたのだが、ここ1、2年はほとんど行っていない。1年に1回行っているかどうかかな。その家の詳しい家族構成は割愛するけど、今は2人しか住んでいない、僕が住んでいた頃には僕含めて6人も住んでいたのにね。僕もマメではないのでその家に連絡をほとんどすることはないが、その家からも僕以上に連絡がくることはない、多分お互いがそれでいいんだろうけどね。

僕の家族には違いないのだけど、母親という存在とは明らかに違う。表現するのがとても難しい、僕自身にしかわからないと思う。僕自身、中学生くらいから社会人になるまではその家族構成でその家に住み、当然いろいろなサポートをしてもらった、簡単に言えば育ててもらったので大変感謝している。のだが、頻繁に連絡を取ったり、足を運んだり、と積極的に関わりを持とうという気持ちにはなれない、なんでだろう?単に億劫なだけなのかもしれない。気にかけたほうが良いのだろうとは思いつつも。

こういうこと考えていると、なんか自分は薄情なしょうもない人間でどっかおかしいのかなあ?と思う時もある。その実家であった場所はクルマで1.5時間くらいの場所にあるので海に行くのと同じ感覚でいつでも行ける場所だ。実家に何年も帰っていない人も世の中には沢山いるだろうけど、それともちょっと違うような気がする。

嫁ちゃんは、両親が今も元気で、クルマでは行けない距離に住んでいるので気が付くと結構な頻度で連絡を取り合っているようだ、今はLINEとかでもやりとりしてるしね。そういう風景を見ると、やはり僕はどっかおかしいのかもしれない、もともと生い立ちが普通の人と比べると大分特殊なのでそういう環境も影響してきたのかもしれないけどね。

だから僕は一般的な家庭を創るということには向いていないのかもしれない、嫁ちゃんと2人で過ごし、2人でサーフィンしに行く、それが今は1番幸せなことなのだ。ここでもし僕らに子供が産まれたらそれも大きな喜びだろうけどもね。子供がいなくて寂しいとか悲しいという感覚は一切ないというのが本音かな。

自分にしかわからない感情を連々と書いてしまった。